映画「万引き家族」感想 類い稀なる傑作 今の日本の縮図がここにある

2018年6月8日映画感想レビュー,日本,映画,犯罪,社会

著者: 今井 阿見

本日公開の映画「万引き家族」を映画館で見てきました。この映画は是枝裕和監督の最新作で、カンヌ映画祭の最高賞パルムドールを21年ぶりに受賞した邦画でもあるので、平日の朝にもかかわらず劇場はほぼ満席でした。

私は映画上映中はスクリーンに釘付けになっていたため、泣いたり笑ったりといった感情の変化は起こりませんでした。しかし、映画上映後に自宅に帰る途中で映画を思い返した途端目頭が熱くなって、「うわー」と叫びたくなりました。なんだか凄い映画を見てしまった気分です。

以下の文章は、ネタバレありの映画を既に見た人向けの映画「万引き家族」の私個人の感想です。まだ映画を見てない人は他人のレビューを見る前に映画館で作品を鑑賞することをおすすめします。

映画「万引き家族」感想・レビュー

映画「万引き家族」予告

映画の内容は予告映像からも分かる通り、娯楽作品でもエンタメ作品でもありません。

映画概要

作品の中心となる疑似家族(万引き家族)は都会の高層マンションの狭間に建てられた古臭い平屋に住んでいます。彼らは足りない生活用品を万引きで補い、血縁関係も無いのにまるで家族のように、親子のように暮らしています。

そこに住んでいる大人は誰一人も世間で言う真っ当な職についていません。怪我をしても労災が出ず、前触れもなく突然首を宣告されるような場所で働く「吹けば飛ぶ」ような存在として描かれてます。万引き家族の子供は学校にも通っていません。

彼らは住んでいる場所と同じで、時代から取り残され、かろうじて社会に存在を保っている不安定で弱々しい人間です。いわば社会から無視され、置き去りにされた人たちです。

そんな疑似家族(万引き家族)が、体中が傷だらけで寒い冬の夜に家の外に放置された女の子「ゆり」を家に連れ帰るところから物語は始まります。

作品のリアリティが半端じゃない

万引き家族の作中で疑似家族に保護される虐待児の女の子。

なんの因果か、この映画が全国的に上映される数日前に、東京で5歳の女の子が親に虐待死されるというニュースが全国を駆け巡っていたため、私には作品内で起こっていることが現実の日本とダブって見えました。

映画を見ているというよりも、終始「映画を通して現実を見ている」と感じざるを得ませんでした。現実で映画と似た事が起こっているので、作品自体がこの国の写し鏡のように見えます。

今の日本とダブる描写として印象的なのは、映画中盤にある万引き家族の母親役が「女の子を匿っていること」が同僚にバレてしまったがゆえに職場を退職に追い込まれるシーンです。

あのシーンには現在の日本で蔓延している「無関心」「自己責任論」「貧困」が凝縮されていました。

映画であれ現実であれ、弱い人間は自分を守るだけで精一杯。不利な状況に陥っても、「万引き家族」のような弱い人たちを守ってくれる存在は外部にはありません。結局、万引き家族は女の子を保護したがゆえに崩壊を始めてしまいます。

言い換えるれば、万引き家族は世間に置き去りにされた「弱くて不都合な存在」を受け入れてしまったがゆえに、それを支えきれず崩壊してしまうのです。

実際に今の日本社会で起こっていることは万引き家族で描かれている事とは逆に見えます。

国が、企業が、学校が、家族が、世間という共同体が『不都合や問題』を外部に切り離すことで維持されてます。問題の外部化、責任の外部化です。

臭いものには蓋を、都合の悪いものはなかったことにすることで、あらゆるコミュニティが維持されています。

そして、その切り離された存在にはセーフティネットは用意されておらず、今の日本社会から隔絶されています。まさに「万引き家族」そのものです。

この映画を「リアルじゃない」「こんなの日本じゃない」という人は、間違いなく今の日本の「不都合」「問題」を切り離し、目を背けていると言えます。助けを求めても無視されている人なんて今の日本にはそこら中にいます。

この映画で描かれているのは間違いなく『現代の日本』です。映画「万引き家族」は今の日本社会から「なかった事にされている人たち」の物語なのです。

普通とはなにか

映画「万引き家族」の作中でリリー・フランキー演じる父親が言うセリフの中に含まれていたフレーズ「俺たちは普通じゃない」が、映画終了後も私の頭から離れませんでした。

今、この日本で「普通」とは何なんでしょうか?

日本が一億総中流と言えた時代は、普通の家庭に生まれ、普通に大学に行き、普通の企業に就職し、普通に結婚し家庭を持つことが「普通の幸せ」と言えたかも知れません。

翻って現代の日本を見てみると、核家族化が進み、晩婚化が進み、少子化が進み、非正規雇用が増え、借金漬けで大学を出ても就職は保証されない。かつての「普通の幸せ」を享受することが非常に困難な社会になっています。

それどころか、政府が国民に嘘をつき続けるのが普通になり、役所の公文書管理がまともにされないのが普通になり、大企業が法律を守らないのが普通になり、学校が生徒を犠牲にするのが普通になっています。

今の日本は、かつての「普通」が壊れていると言えます。

正直言って、「万引き家族」と「今の日本社会」に何か違いがあるのか? と人に聞かれても、私には明確に答えられません。

どちらも「罪を重ねること、人の道から外れることで存続している」点では同じだからです。つまり、万引き家族は日本社会の縮図とも言えます。

正論では人を救えない

劇中で万引き家族は最終的に警察に虐待されている女の子を匿っていることがばれて、警察に逮捕され「誘拐」だと非難されます。万引き家族たちは警察に正論を言われ続けます。

作中で社会や警察が発し続ける正論は、普段私達が聞く正論と大差ありません。「親が子供を見るべき」「子供に万引きを教えるなんておかしい」「子供はちゃんと学校に通わせるべき」「死体遺棄だ」どれも正しい意見です。

しかし、映画「万引き家族」の安藤サクラ演じる母親は「捨てたんじゃないんです、拾ったんです。誰かが捨てたのを、拾ったんです。捨てた人ってのは、ほかにいるんじゃないですか?」と反論します。

これは現在の日本で広まっている自己責任論へのカウンターです。

『人を助けないことで、社会にある問題の原因は全て自分の外部にあると思っている人』を皮肉っています。

今の日本には映画と同様に正論が蔓延っています。けれど正論によって世の中が正されている、生きやすくなっているとは思えません。

正論は言うが、手は貸さない。責任を取らない。弱い存在に一方的に正論を吐き続ける。そうすることで、その人はずっと落ち度のないキレイな存在でいられます。

結局、正論で助かっているのは正論を言った者の心。自尊心です。問題は解決していません。

正論は社会が真っ当に機能している時なら有効です。しかし、現実はそうじゃない。労働基準監督署がいい例です。嘘や不正が蔓延すると正論は機能しなくなります。

今の日本で人を救うには正論ではなく「人としての正しさ」が重要になります。

『困っている人を助ける』『大人が子供を守る』『強いものが弱いものの配慮をする』、正論ではなくそういったアタリマエの正しさが必要なんです。

そして、万引き家族の人たち正論ではなく、女の子を助けることを選んだ。つまり責任を引き受け、自ら汚れることを選んだんです。目の前にある「虐待されている女の子」という問題を解決するために。

正論を言い、手を差し伸べないことは現実や相手を無視していることと同じです。弱い者の側に立っていません。

綺麗事だけ言って自らは汚れないことを選ぶよりも、当事者として関わることでしか人を助けることは出来ない。言葉なんかなくても寄り添うことで人は救われるかも知れない。この映画ではそういった事が描かれているように私は感じました。

「普通の幸せ」から「個々の幸せ」へ

映画の中で描かれる万引き家族は、最後にはバラバラになります。それぞれが異なる人生を歩んでいくことになります。

バラバラになった「元万引き家族」は、誰もが世間一般で言う「普通の人生」を歩んでいません。

しかし映画「万引き家族」では、登場人物が獄中であっても幸せになれるかもしれない可能性を示唆していました。

「普通」を失いつつある日本では、これから「普通の幸せ」を享受することが、ますます難しくなります。

普通の家庭に生まれないかもしれない、普通に大学を卒業できないかもしれない、普通に就職できないかもしれない、普通に結婚できないかもしれない、普通に死ぬことも出来ないかもしれない。

これからの日本社会で「普通の幸せ」を目指すことが難しいなら、「個々の幸せ」を目指すしかありません。

世間の普通から外れても、「幸せ」を掴むことを諦めてはいけない。「自分の幸せ」を諦めるべきじゃない。

万引き家族は、登場人物の足掻きを通して、今後の日本で幸せを模索する方法を提示していたように思います。

この映画は現実と地続き

この映画はバラバラになった万引き家族がその後、どのような人生を歩むのか明確に描かれないまま突然終わります。映画の子供たちがどうなってしまうのか全く分かりません。

しかし、現実で同じように苦しんでいる子供たちに対して私達は手を差し伸べる事ができます。これまで社会から無視されてきた人たちの話を聞くことも出来ます。

この映画の続きや結末は映画の観客に委ねられているのかも知れません。

貧困が広がっている日本は、これからどんどん「普通」を失っていきます。しかし、「困っている人を助ける」「大人が子供の面倒をみる」といった『アタリマエ』なら、まだ失う前に取り戻せるかも知れません。

日本という国が『無慈悲で一方的な正論』で万引き家族のようにバラバラになってしまう前に、お互いを助けあう『アタリマエ』の社会を取り戻せるかどうかは、今の日本の大人達の行動にかかっています。

※当ブログにおける「万引き家族」の感想は犯罪を推奨するものではありません。

万引き家族【映画小説化作品】

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今井阿見

当ブログ『PLUS1WORLD』の記事執筆、編集、校正、プログラミング(一部)、管理を行っているのは今井阿見(いまいあみ)という個人のブロガーです。ブログは趣味と実益を兼ねて運営しています。

今井阿見は30年近くゲームを遊んでいるベテランのゲーマー。学生時代にゲーム作りや映像制作を行っていたので、ゲームだけでなく、映画やアニメなどの映像作品、スマートフォンやパソコン、ガジェットなどの分野にも深く関心があります。

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