映画「万引き家族」感想 類い稀なる傑作 今の日本の縮図がここにある

本日公開の映画「万引き家族」を映画館で見てきました。この映画は是枝裕和監督の最新作で、カンヌ映画祭の最高賞パルムドールを21年ぶりに受賞した邦画でもあるので、平日の朝にもかかわらず劇場はほぼ満席でした。

私は映画上映中はスクリーンに釘付けになっていたため、泣いたり笑ったりしませんでした。しかし、映画上映後に自宅に帰る途中で映画を思い返した途端目頭が熱くなって、「うわー」と叫びたくなりました。なんだか凄い映画を見てしまった気分です。

以下の文章は、ネタバレありの映画を既に見た人向けの映画「万引き家族」の私個人の感想です。まだ映画を見てない人は他人のレビューを見る前に映画館で作品を鑑賞することをおすすめします。

映画「万引き家族」感想・レビュー

映画「万引き家族」予告

映画の内容は予告映像からも分かる通り、娯楽作品でもエンタメ作品でもありません。

映画概要

作品の中心となる疑似家族(万引き家族)は都会の高層マンションの狭間に建てられた古臭い平屋に住んでいます。彼らは足りない生活用品を万引きで補い、血縁関係も無いのに家族のように、親子のように暮らしています。

そこに住んでいる大人は誰一人も世間で言う真っ当な職についていません。怪我をしても労災が出ず、前触れもなく突然首を宣告されるような場所で働く「吹けば飛ぶ」ような存在として描かれてます。子供は学校にも通っていません。

彼らは住んでいる場所と同じで、時代から取り残され、かろうじて社会に存在を保っている不安定で弱々しい人間です。いわば社会から無視され、置き去りにされた人たちです。

そんな疑似家族(万引き家族)が、体中が傷だらけで寒い冬の夜に家の外に放置された女の子「ゆり」を家に連れ帰るところから物語は始まります。

作品のリアリティが半端じゃない

万引き家族の作中で疑似家族に保護される虐待児の女の子。

なんの因果か、この映画が全国的に上映される数日前に、東京で5歳の女の子が親に虐待死されるというニュースが全国を駆け巡っていたため、私には作品内で起こっていることが現実の日本とダブって見えました。

映画を見ているというよりも、終始「映画を通して現実を見ている」と感じざるを得ませんでした。現実で映画と似た事が起こっているので、作品自体がこの国の写し鏡のように見えます。

今の日本とダブる描写として印象的なのは、映画中盤にある万引き家族の母親役が「女の子を匿っていること」が同僚にバレてしまったがゆえに職場を退職に追い込まれるシーンです。

あのシーンには現在の日本で蔓延している「無関心」「自己責任論」「貧困」が凝縮されていました。

映画であれ現実であれ、弱い人間は自分を守るだけで精一杯。不利な状況に陥っても、弱い存在である「万引き家族」を守ってくれる存在は外部にはありません。結局、万引き家族は女の子を保護したがゆえに崩壊を始めてしまいます。

つまり、万引き家族は世間に置き去りにされた「弱くて不都合な存在」を受け入れてしまったがゆえに壊れてしまうのです。

実際に今の日本社会で起こっていることは万引き家族で描かれている事とは逆に見えます。

国が、企業が、学校が、家族が、世間という共同体が『不都合や問題』を外部に切り離すことで維持されてます。汚れの外部化、責任の外部化です。

臭いものには蓋を、都合の悪いものはなかったことにすることで、あらゆるコミュニティが維持されています。