自己効力感ゼロのKKO映画「ジョーカー」の感想

2019年10月8日映画感想キャラクタ,レビュー,人生,映画,社会

著者: 今井 阿見

世界的に話題となっている映画「ジョーカー」を、私は日本での公開日の2日後である2019年10月6日に映画館で観てきました。

私はアメコミには詳しくありませんが、ダークナイトやダークナイト・ライジングを過去に劇場で観て楽しんだので、このバットマンのヴィラン(悪役)であるジョーカーにスポットを当てた今作を前から楽しみにしていました。

見る前から傑作&問題作だという評判を聞いていたので、映画を見終わった後は感想やレビューを書こうと思っていました。ですが、既にネット上には素晴らしいレビューが溢れているので、私は今回はレビューというよりもこの作品を見て私が思ったこと感じたことを書き残してみることにしました。

以下は、ネタバレありの映画「ジョーカー」に関する個人的な感想です。映画自体のレビューを読みたいという方は他の方が書いているレビュー等をおすすめします。

映画「ジョーカー」の感想

映画『ジョーカー』本予告【HD】2019年10月4日(金)公開 – YouTube

予告編でも伝わってくる、ダークナイトのヒース・レジャーとは違うベクトルで凄いホアキンジョーカーの役作り。ガリガリの体から生み出される名演は心に残った。

この映画で衝撃を受けている人は幸せかもしれない

この映画は公式サイトで「#ジョーカー衝撃キャンペーン」を行っています。その上、アメリカでは映画公開前、警察や米軍も動くほどの影響力を見せていました。

Twitterでも「ヤバい!」「ショックだった!」という映画の感想があったので、私はどれだけ衝撃的な内容なのだろうとワクワクしながら鑑賞しました。

最後までじっくりと鑑賞しましたが、私は映画を見ても特に大きな衝撃を受けませんでした。これは映画のクオリティが低かったという意味ではありません。

この映画はひたすら丁寧に現代社会の負の側面を取り扱っているという印象を受けました。映画というフィルターを通して馴染みのある「現代社会の現実の側面」を観ている気分でした。だから特に衝撃を受けなかったのです。

まともな判断力のない頭のおかしな親の介護。十分ではないセーフティネット。格差拡大による分断。「弱者切り捨て」の社会。貧困。パワハラ。不安定な雇用。そして無縁社会。

ゴッサム・シティが舞台であるにも関わらず、描かれる世界の現実味が強すぎて、映画で起こっている出来事はどこか遠い世界の出来事だとは思えませんでした。我々の日常の一部を切り取っただけのように思えます。

「ジョーカー」の世界で起こることはネガティブですが、アーサーに似た境遇に似た人は日本にも多くいます。この映画で衝撃を受けている人は、日本が徐々にゴッサム・シティに近づいていることに気づいていないのではないかと感じました。この映画が全部フィクションに見える人は幸せ者でしょう。

「親ガチャ」に失敗すると人生が積む

映画「ジョーカー」では中盤から終盤にかけてアーサーの母親がロクでもない毒親だったという事実が発覚します。アーサーは自分の人生を壊したのは親だと分かり、運命を呪い、狂います。そして親との関係に終止符を打ちます。

現実の世界でも映画と同様に『自分の親』は選べません。どれだけ狂っていても、酷い親でも、他の親を選ぶことは子供には出来ません。誰が自分の親になるのか、どんな環境で育てられるのか、それは運によって決まります。

それは、いわゆる「親ガチャ」です。やり直しも出来ませんし、1回しか出来ません。そして一生を左右されます。映画「ジョーカー」は親ガチャに失敗した人間はどうなるのかを描いた映画として優れていると感じました。

「貧困の再生産」という言葉があります。貧しい家庭で育った子供が、成長しても貧しいままになってしまうことを指した言葉です。アーサーの家庭も似たような状況でした。社会のセーフティネットは機能していませんでした。

映画「ジョーカー」公開後に 12年勤務しても手取14万円しか貰えない という貧困に関する記事がネットで話題になっていました。そして、記事を読んだ人の反応は二分されていました。

反応は「可哀想だ」「格差が広がっている」という意見と「転職しろ」「自業自得」という意見に分かれており、やる気や努力次第で人生はどうにでもなると思っている自己責任論的意見は少なくありませんでした。

記事で書かれているような薄給で働く貧困層は貯蓄が少なく、頼れる人がいないことも珍しくありません。また、転職活動で有利になるような学歴や職歴、資格を持っていない可能性が高いです。

貧困層の中には親の育児放棄により学業に専念できなかった人や、貧困によって進学を諦めざるを得なかった人もいます。アーサーのように虐待を受け、脳や身体、精神に障害が残ってしまった人もいるでしょう。

社会の問題を自己責任で片付ける人々は彼らのような存在を前にしても「お前の努力が足りなかったのだ」と言えるのでしょうか。もし言えるのなら、その人達は日本のゴッサム・シティ化に加担していると言わざるを得ません。

現在、日本の子供の「7人に1人が貧困」だと言われています。貧困の再生産を加速させる自己責任論の蔓延は、本作「ジョーカー」で描かれていたような社会的な混乱を広げる後押しをしているようなものです。

自分は「ジョーカー」にすらなれないという絶望

アーサーの親ほどではありませんが、私も毒親に育てられたので子供時代にロクな思い出がありません。そして大人になった現在も人生において楽しい思い出がほぼありません。

自分の人生を自分でコントロールできている感覚がなく、生きているという実感が乏しい状態です。いわゆる『自己効力感』がありません。

生まれてから今まで、家庭にも、学校にも、社会にも自分の居場所を見つけられず、頼れる人間もいない私は、似たような境遇の「ジョーカー」の主人公を見れば生きる上で何かの参考になるかなと思ったのですが、全く参考になりませんでした。

私は、アーサーが精神がおかしくて孤独なキモくて金のないおじさん(KKO)からカリスマ犯罪者に変貌していく姿を見て、置いてきぼりにされた気分になりました。

映画の中で「自分は存在していないのではないか」と感じていたアーサーが劇中でジョーカーとしてのアイデンティティを確立していく中、別に犯罪や人殺しがしたいわけではない私は「自分はジョーカーにすらなれない」のだと絶望していくしかありませんでした。

『自己効力感を持たないのに狂って自分の殻を破ることも出来ない人間』はこの世に不満を持ちながらも誰にも認識されず静かに死んでいくことしか出来ないようです。悲しい現実ですね。

誰にでも言えるこの映画の見所

ここまで長々と文を書いてきましたが、映画「ジョーカー」に関しては「つまらない」だの「傑作」だの「問題作」だのと、作品に対して様々な意見や感想があると思います。

ですが、ホアキン・フェニックスが演じるジョーカー(アーサー)がタバコを吸っているシーンがかっこいいという点は誰もが同意するところだと思います。

具体的には「タバコを吸ったことがない私が、ジョーカーがタバコを吸っているシーンを見てタバコを吸いたくなるレベル」なので相当かっこいいです。それだけの影響力があります。

なので、この映画を見ることが最も危険な人は「禁煙している人」だと言えるでしょう。(笑)

バットマン:キリングジョーク(字幕版)

バットマン:キリングジョーク(字幕版)

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今井阿見

当ブログ『PLUS1WORLD』の記事執筆、編集、校正、プログラミング(一部)、管理を行っているのは今井阿見(いまいあみ)という個人のブロガーです。ブログは趣味と実益を兼ねて運営しています。

今井阿見は30年近くゲームを遊んでいるベテランのゲーマー。学生時代にゲーム作りや映像制作を行っていたので、ゲームだけでなく、映画やアニメなどの映像作品、スマートフォンやパソコン、ガジェットなどの分野にも深く関心があります。

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