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映画「万引き家族」感想 類い稀なる傑作 今の日本の縮図がここにある

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作中で社会や警察が発し続ける正論は、普段私達が聞く正論と大差ありません。「親が子供を見るべき」「子供に万引きを教えるなんておかしい」「子供はちゃんと学校に通わせるべき」「死体遺棄だ」どれも正しい意見です。

しかし、映画「万引き家族」の安藤サクラ演じる母親は「捨てたんじゃないんです、拾ったんです。誰かが捨てたのを、拾ったんです。捨てた人ってのは、ほかにいるんじゃないですか?」と反論します。

これは現在の日本で広まっている自己責任論へのカウンターです。

『人を助けないことで、社会にある問題の原因は全て自分の外部にあると思っている人』を皮肉っています。

今の日本には映画と同様に正論が蔓延っています。けれど正論によって世の中が正されている、生きやすくなっているとは思えません。

正論は言うが、手は貸さない。責任を取らない。弱い存在に一方的に正論を吐き続ける。そうすることで、その人はずっと落ち度のないキレイな存在でいられます。

結局、正論で助かっているのは正論を言った者の心。自尊心です。問題は解決していません。

正論は社会が真っ当に機能している時なら有効です。しかし、現実はそうじゃない。労働基準監督署がいい例です。嘘や不正が蔓延すると正論は機能しなくなります。

今の日本で人を救うには正論ではなく「人としての正しさ」が重要になります。

『困っている人を助ける』『大人が子供を守る』『強いものが弱いものの配慮をする』、正論ではなくそういったアタリマエの正しさが必要なんです。

そして、万引き家族の人たち正論ではなく、女の子を助けることを選んだ。つまり責任を引き受け、自ら汚れることを選んだんです。目の前にある「虐待されている女の子」という問題を解決するために。

正論を言い、手を差し伸べないことは現実や相手を無視していることと同じです。弱い者の側に立っていません。

綺麗事だけ言って自らは汚れないことを選ぶよりも、当事者として関わることでしか人を助けることは出来ない。言葉なんかなくても寄り添うことで人は救われるかも知れない。この映画ではそういった事が描かれているように私は感じました。

「普通の幸せ」から「個々の幸せ」へ

映画の中で描かれる万引き家族は、最後にはバラバラになります。それぞれが異なる人生を歩んでいくことになります。

バラバラになった「元万引き家族」は、誰もが世間一般で言う「普通の人生」を歩んでいません。

しかし映画「万引き家族」では、登場人物が獄中であっても幸せになれるかもしれない可能性を示唆していました。

「普通」を失いつつある日本では、これから「普通の幸せ」を享受することが、ますます難しくなります。

普通の家庭に生まれないかもしれない、普通に大学を卒業できないかもしれない、普通に就職できないかもしれない、普通に結婚できないかもしれない、普通に死ぬことも出来ないかもしれない。

これからの日本社会で「普通の幸せ」を目指すことが難しいなら、「個々の幸せ」を目指すしかありません。

世間の普通から外れても、「幸せ」を掴むことを諦めてはいけない。「自分の幸せ」を諦めるべきじゃない。

万引き家族は、登場人物の足掻きを通して、今後の日本で幸せを模索する方法を提示していたように思います。

この映画は現実と地続き

この映画はバラバラになった万引き家族がその後、どのような人生を歩むのか明確に描かれないまま突然終わります。映画の子供たちがどうなってしまうのか全く分かりません。

しかし、現実で同じように苦しんでいる子供たちに対して私達は手を差し伸べる事ができます。これまで社会から無視されてきた人たちの話を聞くことも出来ます。

この映画の続きや結末は映画の観客に委ねられているのかも知れません。

貧困が広がっている日本は、これからどんどん「普通」を失っていきます。しかし、「困っている人を助ける」「大人が子供の面倒をみる」といった『アタリマエ』なら、まだ失う前に取り戻せるかも知れません。

日本という国が『無慈悲で一方的な正論』で万引き家族のようにバラバラになってしまう前に、お互いを助けあう『アタリマエ』の社会を取り戻せるかどうかは、今の日本の大人達の行動にかかっています。

※当ブログにおける「万引き家族」の感想は犯罪を推奨するものではありません。

万引き家族【映画小説化作品】

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